読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

高田里惠子『文学部をめぐる病い』

幾人かの独文学者たちの蹉跌のさまを吟味して戦前の日本的教養主義の帰趨を描く。とりわけ中心的に槍玉に挙げられるのがヘッセの初の邦訳者にして戦時中には翼賛会文化部長を務めた高橋健二である。彼らは「立身出世」コースの法科にも、西田哲学の根城たる京都帝大文科にも赴かず、さりとて左翼運動にも身を投じなかった、いわば「二流」の東大文学部出身者である。彼らはあくまで「文学部」の人間であるにも拘らず・あるいはそれゆえに、「文学部」に抗して「文学」を擁護しようと努め、結果として社会の要請に応えるナチ文学の紹介者としての役割をすすんで引き受ける。(ここには日本的教養主義の出自が関係している。近代日本が近代西欧とそこに内生してきた近代批判とを一度に受容した結果として、「教養」には奇妙なねじれが生じた。西欧における教養批判・教養俗物批判が、日本的教養主義の根幹をなしたのだ。旧制高校の反市民社会的性格もまたここに由来する。)

しかもナチ文学の紹介者は同時に、なんら内的矛盾を経験することなく、戦前・戦後を通じて反ナチ文学の誠実な紹介者でもあり続けた。戦中に一種の二重スパイ的状況に置かれることになる。問題は「文学」が二重スパイ性を自覚させる力を持たず、むしろ精神的アウトサイダーとして自らの振る舞いを正当化させることである、と著者は指摘する。

いくつか重要な論点を書き落としているけれども(日本的教養主義の「男性同盟」的性格など)いまいち掴みきれていないので放置。ドイツ的な「教養市民」およびそれとナチズムとの関係について野田宣雄『ドイツ教養市民層の歴史』、フリッツ・リンガー『読書人の没落』、田村栄子『若き教養市民層とナチズム』などが参照先として指示されており、この辺りを勉強してから読んだ方が面白いかもしれない。

文学部をめぐる病い?教養主義・ナチス・旧制高校

文学部をめぐる病い?教養主義・ナチス・旧制高校