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ダメットの全体論批判(金子『ダメットにたどりつくまで』3章)

以下に関するメモ。内容要約。

  • 金子洋之『ダメットにたどりつくまで』(勁草書房、2006年)pp.79-118.

古典論理的な推論実践を否定することがダメットの目標だが、そのために、まず論理の改訂を不可能とするタイプの議論への反駁が必要である。全体論はこのタイプに当てはまる。「意味は使用である」という(論理の改訂を要求する議論においてダメットが用いる)スローガンが全体論と結びつくとき、論理の改訂は不可能になるからだ。したがってダメットの改訂主義の論証の序盤に全体論批判が位置づけられることになる。

1節

全体論が論理の改訂を不可能にすることの理路は以下のとおり。(クワイン全体論における論理の改訂可能性とは出発点からして異なっている。クワインにおいて論理の改訂は経験を契機とする。たほうダメットはあくまで意味理論 a meaning theory に訴える。したがって論理の改訂の可能性は演繹の正当化の可能性に帰着する。)

  1. 演繹の正当化は可能である。議論の循環はそのさい問題にならない。演繹の正当化とは、それを受け容れない人間への説得ではなく、その妥当性の説明だからである。
    • 異なる論理を受け容れる論者のあいだでも「説明の文脈」を用いることができる。論理の改訂における争いの場面においても一定の推論規則は共有されているため。
    • 一切の論理的推論を共有していない、ということはありえない。なぜなら推論活動は言語実践の孤立した部門ではないから。すなわち他の部門と「調和」を保っている必要がある。この点からも意味論の成否を論じられる。
  2. 推論活動が言語実践の孤立した部門でないことを認めつつ、直観主義論理の世界と古典論理の世界が「別の演繹原理が支配する世界」だ、と主張するならば、全体論的言語観を支持せざるを得ない。

2節

全体論とは、「単一の言明の内容を理解するには、その言明を含む言語の全体を理解していなくてはならない」(p.96)という主張である。例えばデイヴィドソンの真理理論においては、ある文の解釈が適切か否かは、理論における他の定理と証拠との全体的な一致によって示される。ダメットはこれに分子論的言語観 molecular view of language を対置する。分子論的言語観においては、ある言明を理解するために必要な言語断片の大きさは有界である。それゆえ「各文の意味を個別的に切り出す」(p.102)ことができる。

3節

観察言明の意味は、一方で観察から直接与えられ、他方でモデルから導出される。論理結合子には導入則と除去則がある。こうした仕方で言明には異なる相があるが、全体論は使用の異なる相を言語から分離できない。ダメットの改訂主義はこうした分離を必要とする。

4節

では、全体論を拒否する論拠は何か。

  1. 言明の意味表示を言語全体から切り離せないことは、言語習得やコミュニケーションの可能性を閉ざす。
    • 文の意味理解において合成原理が働く仕方を全体論は説明できない(分子論的言語観はうまく説明できる)。
    • 他者との不一致が真理値の相違か言語的な不一致かを判別するさいに、全体論的な判別法はうまくいかない。
  2. 言語実践の正当化要求は合理的である(したがって1節で見たようにそれを不可能にする全体論は支持しがたい)。
    • 全体論的観点は言語の規範性を説明できない。
    • 他方、分子論的言語観においてはラフな意味での「保存拡大性」が要求される。この要求が言語の規範性を保証する。