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M. I. フィンリー 『民主主義』

民主主義―古代と現代 (刀水歴史全書)

民主主義―古代と現代 (刀水歴史全書)

  • M. I. フィンリー『民主主義:古代と現代』刀水書房、1991年。

古典学者フィンリーがアテナイ民主主義をいくつかの側面から論じたもの。いくつかの所収論文は「民主主義のエリート理論」、すなわちデーモス δῆμος による支配を衆愚政治と等置し「多数者による指導者の選出」(シュンペーター)を良しとする議論、に強く反対する目的から書かれた、と序文にあるように、多くの実践的な問題提起を含んでいる。

アテナイの民主制の実際を詳しく見ていくことに重点が置かれた結果として、小著ながら論旨はやや複雑に見える。以下は一・二章のまとめ。三章は民主制と国益に関する合意について、四章はアリストファネスソクラテスらと言論の自由について、五章はこれと連続して思想と検閲について、議論している。いずれも重要だと思うけれど理解が十分に追いついてないので読み返したい。

概要

第一章では民会 έκκλησία がいかに機能していたかが描かれる。民会において実際に発言権 ἰσηγορία を行使する人は専門知識を持つ少数の人びとに限られていた。だがあらゆる決定権はあくまで民会にあったのであり、民衆法廷や行政職の細分化と輪番制、官僚制の不在等々の工夫とともにデーモスによる支配は維持された。さらにグラーフェ・パラノモン γραφὴ παρανόμων が発言を規制し民会の調和を保った(これは現代の議員特権と正反対の工夫である)。ここでフィンリーは、現代の大衆の政治的無知・無関心を肯定するエリート理論に対して、むしろ「アテナイの精神に沿った」民衆参加の形態を――アテナイほど同質的でも緊密でもない現代社会において、新たに――発明する必要について議論すべきではないか、と問う。

第二章では、アテナイデマゴーグはその民主制の不可欠で普遍的な要素であったことが論じられる。つまり民主制はデマゴーグにより内部から蝕まれたとする通常の見解が批判される。民会では外交行為を含むあらゆることが決議されたし、発言には前述の γραφὴ παρανόμων はじめさまざまなリスクが伴った。この緊張は「デマゴーグ」にとってなおさら当てはまる。彼らの言動はアテナイの限られた世界において強く統制されていた。また重要なこととして、アテナイの民会はギリシアにおいて例外的に党派 στάσις からかなり自由であった。もちろん意見の相違や利害対立ゆえに完全に免れることはできなかったけれども、それが社会全体にとって悪だったとは言えない――ペリクレスやエフィアルテスに反対してよき秩序 εὐνομία を支持するならば、政治的・経済的不平等を無視することになる(対して民主派のスローガンは ἰσονομία であった)。アテナイが自由と独立とを失ったのは、あくまで優越する外的力によってであった、と考えるべきだ。