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伊藤貞夫『古典期アテネの政治と社会』

古典期アテネの政治と社会 (歴史学選書 5)

古典期アテネの政治と社会 (歴史学選書 5)

古典期、すなわちクレイステネスの改革とともに民主政への移行が完了した前5世紀初頭から、ヘレニズム時代の到来とともにポリスとしての自立性を失う前4世紀末まで、のアテネを中心とした、古代ギリシアの政治社会の概説書。基本的にポリスの構造と成立・発展・衰退の過程、およびその歴史的意義の記述が目指されている。以下は一章(および二章一節)の内容。もっともここは内容的にはたんなる導入にすぎないし、概ねきちんと勉強している高校生なら知っているような話だけれど、備忘のため記録しておく。

概要

古代ギリシア史は伝統的に六つの時期に区分される。第一はミケーネ時代(16-12c)で、王城阯と粘土板文書、ホメロス詩篇が当時の様子を伝える。ミケーネをはじめギリシアの諸王国は外敵侵入により滅亡し、暗黒時代(11-9c)に入る。小王国アテネは外敵を防ぎきったが、他地域の先住ギリシア人が次々と避難したことで社会的混乱と人口過剰をきたした。このときイオニアへの植民も行われる。ギリシア世界は新秩序の形成へと模索を重ね、王制から貴族制への移行、そしてポリスの成立に至る。続く前古典期(8c-6c)には秩序安定に伴う人口増から活発な植民が行われ、海上交易が進展する。貴族層に加え平民の一部も富裕化し、政治的発言力も増大する。政治的変化の背景には重装歩兵 ὁπλῖται の出現とそこでの平民比率の増大があるが、これは平民が経済的な従属関係に置かれていなかったこと、ならびに武器自弁の原則、を前提としていた。アテネにおいては成文法成立、ソロンの改革、ペイシストラトスの僭主政ならびにクレイステネスの改革を節目とする。概してアテネは王制から貴族制、民主政へと断絶なしに転換しており、ミケーネ時代からの遺産を豊かに受け継いだ点において有利であった。古典期(5-4c)においてアテネの繁栄は絶頂を迎えるが、ヘレニズム時代(4-1c)の到来とともに強い内政干渉を許し、前322年には寡頭制が成立する。前2世紀にギリシア全土はローマの支配下に入り、前27年以降のギリシア史はローマ帝政期(1c-後3c)に入る。

かくてポリス πόλις の歴史はギリシア史の中でおよそ4世紀を占めるにすぎないが、歴史的意義はもちろん、その複雑さ・多様性からして緻密な探究を要する。アテネとスパルタという対照的な二つのポリスを典型として取り上げるならば、スパルタは先住ギリシア人を征服して作られた国家であり、アテネは先住ギリシア人がみずからポリスを形成した例である。スパルタはスパルタ人 Σπαρτιάται、ペリオイコイ περίοικοι、ヘロット εἱλῶται の三身分から構成され、ヘロットは動産をもつ点で典型的な奴隷というよりは農奴に近い存在であった。スパルタ人のみが政治上の発言力を有し、また持分地 κλᾶρος を自ら耕すことや商工業に携わることもなく、身分によって居住地が截然と分かたれていた。一方アテネは市民、奴隷 δοῦλοι、在留外人 μέτοικοι からなるが、スパルタのごとき戦士と生産者の分化は見られず、また奴隷は所有と使役の客体でしかなかった。またアテネにおいては中心市と外港ピレウス Πειραιεύς を囲む城壁の外側に広大な田園部を有し、中堅市民がみずから耕作していたのである。

  • リュクルゴスの改革: 当初長老会 gerusia の支配する寡頭制であったスパルタは、前7世紀末の第二次メッセニア戦争の勝利を機に土地の再分配を断行し、持分地を受けた平等者 homoioi による民主政へと移行した。

  • アルコン職: 伝承によれば、アテネにおいて暗黒時代に王の権能を polemarchos(軍事)、 archon(統治者)、 basileus(王)の間で分掌するようになったことを起源とする。後にこれらの役職枠が帰属全体に拡大することで貴族制への転換が図られた。前7世紀半ばにはこれに六人の tesmothetai(立法者)が加わる。

  • ソロンの改革: 重荷降ろし seisachtheia すなわち中小農民の債務からの解放、および財産にもとづく国制改革を二つの基軸とした。

  • クレイステネスの改革: 170余の区 demos*1を基底として30区域を定め、3区域ずつをまとめて一部族 phyle とする。この十部族制は以後アテネの国制の根幹に位置することになる。同じくらい有名なのが陶片追放 ostrakismos で、これも民主政確立に一定の役割を果たした。

感想

肝心なのは直接民主制がいかに精緻な工夫によって維持されたかということ、およびいかなる帰結と限界を持ったかということなのだけれど、一々記録しておけない。おそらく記録の取り方を考えなおしたほうがいい。とりあえず興味深かった事実や指摘を思い出せる限り羅列しておく。

  • アテネにおいて多くの市民は生産者でもあったこと(同時に多くの市民は家内奴隷を有しなかったと推定されること――奴隷の多くはむしろ農商工業に携わるものであったこと)

  • ポリスの本質は人的結合であって、アテネにおいてその共同体意識は市民間の相互規制や在留外人・奴隷との截然とした法的区別にあらわれること

  • 民衆法廷は国制上高い地位を有する点で直接民主制を象徴する制度である一方、しょせんは素人の集まりであるゆえに『ソクラテスの弁明』でソクラテスが批判するごとき情への訴えがしばしば横行したであろうこと

  • ギリシアにおける家父の権能はローマの家父長権 patria potestas に比してずっと小さいこと、アテネ市民は家父長により構成されたのではなく、成年男子は平等の立場で国政に参与したこと

  • 古典期アテネの人的組織は、デーモスに基づく地縁共同体だけではなく、フラトリア(兄弟団)と呼ばれる氏族制的集団も関わっていたこと、この二系列の組織はともに重層的であって、ポリスは多様な小共同体を包摂していたこと

*1:もっともこの数値には異説があるらしい