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イェーリング『権利のための闘争』 / 村上『……を読む』

『x を読む』系の本を読みつつ x を読むシリーズ第一弾。ちなみに他に x に代入されるべき積読丸山眞男『日本の思想』とベンヤミン「歴史哲学テーゼ」がある。

権利のための闘争 (岩波文庫)

権利のための闘争 (岩波文庫)

『権利のための闘争』はどちらかと言えば短い著作(訳書にして130頁ほど)だが、必ずしも読解は容易ではない。村上によれば、それは彼が「体系家というよりは警句家、抽象的理論家というよりは経験主義者」(F. ヴィーアッカー、『闘争』142頁)であったことに加え、彼が論じる19世紀ドイツの社会構造の複雑さのためでもある。……もっともレトリカルな文体ゆえ雑に読めばすいすいと読めてしまう本でもあり結構危ない。

ともあれ、訳者によるセミナーを元にした『読む』では、ドイツ(あるいは広くヨーロッパ)社会・ローマ法 etc. に関する必要な背景知識が記述されている。以下ではとりわけ話が込み入っていた(そして核心的な部分でもある)『読む』4-5章(「前国家的な権利と国家によって付与された権利」)の内容を要約する。

要約

イェーリングは本書のテーマである Recht を客観的な Recht = 法と主観的な Recht = 権利に分け、さきに法のための闘争について簡単に論じた後、権利のための闘争を論じる。イェーリングは、権利のための闘争は第一に自分自身のための義務であり、第二に国家共同体 Gemeinwesen に対する義務である、とする。『読む』4-5章が扱うのはこの第二の側面についてのイェーリングの論述(『闘争』79頁以降)である。

そもそも Gemeinwesen とは何か。これは res publica の訳であり、「公の事」を意味し、一言で言えば家父長たちにより担われる政治的秩序のことである。res publica は societas civilis とも同義で、こちらは bürgerliche Gesellschaft などと訳されるけれども、もとは πολιτική κοινωνία に当てられたラテン語で、やはり家長により担われた政治的共同体-としての-国家を意味する。ロックは civil society を political society と等置したし、ルソーの état 概念もじつは同様の意義を担っている。要するに、近代的な議会政治や絶対主義の時代に、家父長による共同体としての国家観念はなおヨーロッパに残存していた。カントが『啓蒙とは何か』で示した、公民による理性の公的使用と官職における理性の私的使用を対置する政治的自由主義も、こうした伝統的国家観に根ざしている。これと符合するのが、国民国家の形成に至ってなお「人びとはドイツ人である前にバイエルン人であり、ザクセン人であり、プロイセン人であった」(162頁)こと、すなわち Land(小国)を重視する地方主義・地域主義のヨーロッパにおける残存という事実であった。

もちろん国民国家 = 機構としての国家の原理は、こうした共同体としての国家の原理と衝突する。そこで後者を奉ずる人びとは家長の支配の前国家性、また家の神聖不可侵による個人の自由の基礎づけ、を強調するようになる。権利のための闘争を国家共同体に対する義務とするイェーリングの議論は、これらの議論によるところがおそらく大きい。また彼の『ローマ法の精神』第2巻第1部(1854)においては家の重要性が強調されている。

もっとも、イェーリングは『闘争』(1872)ではもはや家に言及していない。晩年の『法における目的』(1877、1883)はさらにこうした考えから離れている。これは国民国家の前景化に伴い、イェーリングが権利を「法的に保護された利益」と見なすようになったことと関連する。(以上、第4章)

18c後半-19cのドイツ市民社会は「財産と教養 Besitz und Bildung」ある階層から構成されていた。(これはおそらく近代日本にはなかったもので、漱石『野分』には「自然は公平なもので一人の男に金もまうけさせる、同時にカルチュアーも授けるという程贔屓にはせんのである」などとある。)こうした階層に属する市民家族は生産・営利機能との関連を失うことなく、家長の統率のもと結束を維持した。こうした家父長制的構造は、ヨーロッパの個人主義的経済社会の反対構造であるどころか、その構成要素であった。「個人主義的」財産法もじつは「家長個人主義」的なものであるし、フランスの私企業においてはいまだに家父長制的同族支配が残存している。

こうした市民家族は20c初めまで市民社会の構成単位でありつづけるが、その政治的機能は少しずつ変質する。三月革命の時点では家はなお個人の自律の基礎であったのに対し、19世紀末には家族の自律が法人格としての国家による法的規律を前提とするようになる。保守主義においては、家長に対する家族員の恭順が、国家に対する国民大衆の恭順を基礎づける。この変化は工業化による大衆社会の発展と並行している。イェーリングに立ち戻れば、『闘争』の時点で、家族はもはや「権利のための闘争」の出発点として不適格だったのである。かくして「権利」は「力」ではなく「利益」である、という定義が登場する。

この定義の刷新を理解するためには、家の機能変化のみならず、団体的秩序の変容も考慮する必要がある。旧いツンフト制度は19世紀初頭に廃止されたが、同業組合 Innung は任意団体として存続するようになる。職人を含めた手工業者は「財産と教養」ある階層に属していなかったが、知識人層は手工業者を援助し市民社会の中核たらしめようとした。こうした団体の自由で自律的な活動を、イェーリングは新たな市民社会の基礎として構想したのである。(他方でこうした期待が裏切られてからは、団体主義はむしろ経済社会に介入するイデオロギーとしての性格を帯びるようになるのだが。)そして権利を「法的に保護された利益」と捉える彼の見方は、シュタインが明確に述べたような、利益こそが新たな市民社会の運動原理である、という事実を反映したものであった。

けれども、権利 = 利益は闘争を要請する出発点としては弱い。ゆえに他方でイェーリングは、「権利に向かって手を振り上げる恣意に対しては……物質主義的な見方を正当と認めるわけにはいかない」と言う。要するに新旧二つの観点があまり整理されないまま提示される。権利は Staat に保護されたものだが、それにも関わらず権利を主張することは Gemeinwesen に対する義務である、と彼は主張するのである。もっとも『法における目的』以降では、このうち旧い観点はさらに後景に退くことになる。

感想

初期近代ヨーロッパの公共空間が家父長制的秩序を前提していたという指摘は興味を惹いた。ぜひ『近代法の形成』も読みたい。