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S. ピンカー『人間の本性を考える』上巻

人間の本性を考える  ~心は「空白の石版」か (上) (NHKブックス)

人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (上) (NHKブックス)

  • スティーヴン・ピンカー『人間の本性を考える:心は「空白の石版」か』上巻、山下篤子訳、NHKブックス、2004年。

原題は The Blank Slate. 人間本性を否定する議論を腑分けし、それらを論駁する書。以下は上巻の内容。

概要

第I部:人間本性の存在を否定する議論(ブランク・スレート理論)は、次の二つのドグマと密接に結びつく。一つは「高貴な野蛮人」すなわちルソー的な性善説であり、これは人工のものへの嫌悪だとか、社会構成主義的な見方に親和的である。もう一つは「機械の中の幽霊」、こちらは人間やその行動の物理的・機械論的な把握を妨げる。

こうした想定は20世紀の社会科学において支配的だったけれども、1950年代の「認知革命」によってほぼ不要になった。認知科学の革命は次のようなアイディアからなる。すなわち心的過程は計算であり、したがってそのメカニズム自体は生得的でしかありえず、行動や文化の多様性の背後には普遍的な機構が存在するはずであり、それは具体的には相互作用する多数のパーツ(モジュール)から構成される。脳における具体的な仕組みは認知神経科学が明らかにしている。行動遺伝学もブランク・スレート理論への重大な反証となるし、進化心理学は「高貴な野蛮人」理論を否定する。

文化を獲得する行為――具体的には、他者の意図などを読み取り模倣する行為――も生得的なもので、文化はいわば「心的表象の疫学」(スペルベル)として理解されるべきである(cf. ジャレド・ダイヤモンドのニューギニアとヨーロッパの比較)。こうした事例は、歴史・文化の心理学による、あるいは心理学の自然科学による、基礎づけ・統合 consilience の可能性を示している。

ところで、ブランク・スレート理論への反証であると解釈されがちな、いくつかの現代的な知見・理論がある。一つはヒトゲノム・プロジェクトの成果で、算定された遺伝子の数が(5-10万という予測に反し)たった34000個であったこと。二つ目はニューラル・ネットワーク研究とコネクショニズム、三つ目は神経可塑性に関する実証的研究。だがこれらはいずれも反証とはならない。まず遺伝子数について言えば、それが実際に何を意味するのかは不明である。次に、ニューラル・ネットワークモデルによっては、普遍・特殊、思考の合成性、量化、入れ子構造の思考、カテゴリー的推論といった事柄を説明できない。最後に、神経可塑性は皮質においては高い(ex. 一次感覚皮質)けれども、情動などを司る皮質下の回路においては遥かに低い。また遺伝子の誘導による脳の自己組織化の仕組みはおおむね判明しており、そのさい必ずしも感覚入力を必要としない。

第II部:こうした諸科学の新たな成果は、一方で、(アメリカにおいて)政治的・宗教的理由により左派・右派の一部から激しい攻撃を受けた。一例を挙げれば、ウィルソンの『社会生物学』へのグールドらの筋の通らない攻撃、および ID 論者によるグールドの論のさらなる濫用、など。我々がこうした無理解に陥らず、得られた知識を正しく扱う方法を、以下の章で提案する。

感想

ブランク・スレート-高貴な野蛮人-機械の中の幽霊、という整理は便利だと思う。現代科学に基づくブランク・スレート理論を論駁する第5章が結局一番勉強になる。あとスペルベルを読む気になった。ところで「統合」は面白いから大事だ、という話はその通りだと思うけれど、それを「基礎づけ」と呼ぶのはどうかという疑念はある。第II部に関しては、こういう非生産的な作業が必要な状況に置かれるのは大変だなと思いつつ、たとい創造論マルクス主義的観点を科学的知見に優先することはないにせよ、グールドの用いたような藁人形論法を受け入れるくらいのことは(不案内な分野にあっては)あり得ることで、用心したほうがよいと思った。