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吉見『メディア文化論』

I. メディア論史、II. メディア史、III. メディア現代史、という構成。各々「方法としてのメディア」「歴史としてのメディア」「実践としてのメディア」と題される。以下は第 I 部の内容要約。

情報・輸送テクノロジーにより時空間のモードが変化するとともに、メディアに対する新たな視座が生じる。ル・ボンの(場所的な)群集概念に反対して立てられたタルドの「公衆」概念、パラージュの『視覚的人間』、ベンヤミンの複製技術論、リップマンのステレオタイプ論など。他方、日本では小野秀雄小山栄三などが「新聞学」を標榜し、他方で長谷川如是閑や戸坂潤などがマルクス主義的新聞論を公にした。

やがて戦後アメリカではプロパガンダ研究を基礎においたマスコミ研究が興隆する。60年代まではラザーズフェルドらの限定効果モデル――「2段階の流れ」仮説と「選択的接触」論がその枢要をなす――が精緻化されてゆくが、70年台以降、議題設定機能モデルなど種々の議論がその限界を明らかにする。

さらにこうしたパラダイムの外部で、批判理論、マクルーハンのメディア論、カルチュラル・スタディーズ、が浮上する。マクルーハンの理論(の延長線上)においては、メディアはむしろ、自己と身体が世界に関わるしかたを構造化する制度に他ならない。カルチュラル・スタディーズは、一方ではマスメディア研究を批判し(社会的実践の絡まり合いの中で捉えられるべきマスコミを効果の原因として抽象している(ウィリアムズ)、「送り手 / 受け手」という単一の主体の間での一義的な伝達を不当に想定している(ホール))、他方でマクルーハンのメディア環境論の限界も指摘する。


勉強になる。上には何も書いてないけれど、とくに第 II 部はメディアの技術的発展と社会変化の絡み合いが vivid に記述されており面白かった。上流層・庶民層におけるジャーナリズムの発展、電話交換の変遷、映画の誕生と黎明期の話など。