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廣松渉『世界の共同主観的存在構造』

世界の共同主観的存在構造 (講談社学術文庫)

世界の共同主観的存在構造 (講談社学術文庫)

廣松渉(1933-1994)の「実質上の主著」(3頁)。言語、意識、歴史的・文化的形象、また事実一般が「共同主観的に」のみ存在する次第を、認識論に定位して、幅広く体系的に論じたもの。

第I部序章は文化人類学ゲシュタルト心理学、フランス社会学派の学説に基づき近代的な「主観-客観図式」の破綻を宣告し、共同主観性に着目する本論全体の方向性を予示する。第一章は「現象的世界の四肢的連関構造」、すなわち対象・主体双方がイデアール・レアールという二重性を持って存在することを論じる。すなわち物はつねに etwas Mehr としての物であり、私もまた「誰かとしての私」――例えば「我々としての我」――である。この基本認識にもとづいて、第二章では言語が、第三章では歴史的世界が発生論的に記述される。

第II部第一章では認識主観をやはり共同主観性に定位して(つまり他方では例えば意識の人称性等々を斥けつつ)存在論的に基礎づける作業がなされ、第二章ではそれに基づく判断論が展開される。第三章はデュルケームをメインに据えた倫理学説の祖述から今後の課題を洗い出す論考となっている。


文体のごつさに比してかなり読みやすい。そのつどの主題の明示と具体的事実による例示にぬかりがない印象がある。見習いたい。

もっとも前提される所説に無知であるためにつかみきれない部分は多々ある。例えばサルトルの即自・対自・対他概念は第II部で多用されるがいまひとつ飲み込めないし、「判断の認識論的基礎構造」のとりわけ他人の所論を祖述する前半部はほぼ理解を諦めた。こうしたわけもあって、以上の要約は例のごとく断片的で正確さを欠く(に違いない)。

また本書内で展開される役割理論に関連して以下の短論文を読んだ。内容はほぼレーヴィット『共同存在の現象学』の梗概。

  • 廣松渉「間主体性と役柄存在 人間存在論への覚書II」『現代思想』1974年8-9月号。