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森鷗外『阿部一族 他二篇』

阿部一族―他二編    岩波文庫

阿部一族―他二編 岩波文庫

「興津弥五右衛門の遺書」「阿部一族」「佐橋甚五郎」を収める。各作品の梗概は斎藤茂吉の解説に記されているので省略。

いまさら称嘆するのも恥ずかしいほどの古典だけれど、やはり「阿部一族」は秀逸だと思う。主君忠利、殉死者たちとその周囲の人々、また阿部一族とその討手、の複雑なエートスが簡潔な文体で見事に表現されている。個々人の心理がよく描き出されることで接近可能になっているとも言える。とはいえ人々の死に行くさまを描くことが基調にあるので、やはり外的な事実を淡々と記述する部分は物凄い印象を与える。以下の部分などはなおほとんど理解を拒んでいる。

阿部一族は討手の向う日をその前日に聞き知って、先ず邸内を隈なく掃除し、見苦しい物は悉く焼き棄てた。それから老若打寄って酒宴をした。それから老人や女は自殺し、幼いものは手ん手に刺し殺した。それから庭に大きい穴を掘って死骸を埋めた。跡に残ったのは究竟の若者ばかりである。弥五兵衛、市太夫、五太夫、七之丞の四人が指図して、障子襖を取り払った広間に家来を集めて、鉦太鼓を打ち鳴らさせ、高声に念仏をさせて夜の明けるのを待った。これは老人や妻子を弔うためだとはいったが、実は下人どもに臆病の念を起させぬ用心であった。(本書、64-65頁)

「興津弥五右衛門の遺書」は候文に慣れないこともあって取り付く島もない感じがしたけれど、その成立の背景――乃木希典夫妻の殉死から三日の間に書き上げられた――を念頭に置いて「阿部一族」と読み合わせれば一応の意義を理解できる。それにしても前二篇において鷗外は殉死をさも当然の行為のごとくに書いており、おそらくはこの背景あっての書きようなのだろうが、実状がどうであったのかを全く知らない。山本博文『殉死の構造』でも読めばよいのか。あるいはパンゲ。