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W. F. バイナム(2015)『医学の歴史』

医学の歴史 (サイエンス・パレット)

医学の歴史 (サイエンス・パレット)

著者の W. F. バイナムは医学史家。原著は William Bynum (2008) "The History of Medicine: A Very Short Introduction", Oxford UP. 以下はかなり大雑把なまとめ。

医学が五つの類型(臨床・書物・病院・共同体・実験室……の医学)に分類され、各々に1-5章の1章ずつが割り当てられている。おおむね年代順だが当然時間的な重なりをもつ。最終章では各々の類型が現代の医学にどう現れているかが概観される。

治療を目的とする臨床の医学の原型はヒポクラテス(BC460頃-370頃)に見出せる。四体液説に基づく彼の医学はホリスティックであり現代のプライマリ・ケアの原型をなす。ヒポクラテス派の理論はガレノス(129-210頃)の著作を通じ西洋に伝わる。そしてガレノスの複雑な生理学は――人体の切開を忌避する文化的価値観ゆえにブタやサルの解剖をもとにしたものだったが――約千年にわたり真理とされる。

ローマ滅亡からルネサンスまでの書物の医学の時代がこれに続く。イスラームの医学者を通じて伝わった著作は、コンスタンチヌス・アフリカヌス(?-1098以前)を嚆矢とするラテン語への翻訳作業を経て、サレルノなどヨーロッパの初期医学校のカリキュラムの基盤となる。医学部で学んだ人々は内科医という(外科医や薬種商と対照的に)高い地位を持つ社会層を形成する。やがてガレノスの医学は解剖学の発見・発達とともに相対化される。印刷術の発明がこれを支える。ダ・ヴィンチの解剖図は同時代的には無名で、初めて大きな影響を与えたのはヴェサリウス(1514-1564)の『人体構造論』(1543)である。ルネサンス期にはまたパラケルスス(1493頃-1541)を継ぐ医化学派 iatrochemists が出るなど多くの新潮流が生まれたが、一方で臨床医学は、啓蒙主義の時代に至るまで、ヒポクラテス以来の患者志向のものであり続けた。

けれども、フランス革命期から二月革命までの期間に興ったパリの病院医学が、医療の実践の転換点となる。第一に身体所見が重要になる。視診・触診・打診・聴診が日常的かつ組織的に行われはじめる。第二に臨床と病理の相関が重視されはじめ、生前の検査と死後解剖による病変の追跡がセットになる。かくて体液ではなく臓器ごとの疾病分類学が形成される。第三にピエール・ルイ(1787-1872)が計数的医学を創始する。他方で、病変を見出し難いことが通常である精神疾患には、また別の制度的対応がなされていった。

伝染病の記録は古代からあるが、史上初の大陸をまたぐパンデミックは14cのいわゆる黒死病である。以後17c半ばまでペストの流行は続き、共同体の健康と病気が明確に問題化される。ペストとの影響関係は議論の余地があるが、絶対主義国家において公衆衛生は制度化されはじめる。ヨーロッパにおける現代的な公衆衛生の誕生は19cにおいてであり、通説によればコレラの大流行に対応するものだった。当時病気の感染経路にはミアズマ説と伝染説とがあったが、細菌理論以前には合意が存在せず、コレラによって大きく問題になった。救貧法に関わり、英国の公衆衛生に影響を持ったエドウィン・チャトウィック(1800-1890)は、熱心なミアズマ派であり、コレラ発疹チフス、猩紅熱などを「不潔病」と呼んだ。ジョン・スノウ(1813-1858)はコレラが水媒介である証拠を提出したが、細菌学の時代にさえ議論の余地のあるものと見なされていた。

医学と実験との関係は長い歴史を持ち、病気の基本単位も着実に洗練されてくる。19c前半には細胞説が登場し、次いでルイ・パストゥール(1822-1895)が細菌理論を提出する。細菌学は患者自身と病気の原因を切り離した。また疾病の差異に生物学的な根拠を与え、ついには熱は病気ではなく症候と見なされるようになった。また実践面では滅菌手術と無菌手術を可能にし、さらに公衆衛生の基礎を提供した。クロード・ベルナール(1813-1878)らが重要な貢献を果たした実験生理学もまた、医学の新たな厳密性を提供するものだった。

現代においてはどうか。プライマリ・ケアと専門的医療の地位は時代と即応して上下しつづけている。書物の医学も情報革命により新たな段階に入っている。病院は、精確な診断と救急処置、外科手術の必要性から今なお重要であるが、資金面はほぼ常に問題であり、また耐性菌の発生にも一役買っている。公衆衛生事業ナチスを極端な例として人種差別主義に基づく面がある一方で、帝国主義時代には支配地の衛生を進めた部分もある。一つの病気を集中的に予防する作戦は天然痘やポリオにおいて勝利を収めたが、HIV結核マラリアに関してはそうではなく、水平的なプライマリ・ケアが重視されている。実験室の医学における諸革新は言わずもがなである。

巻末の参考文献リストには全書目に訳者の内容紹介が付されている。