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大川正彦『正義』

正義 (思考のフロンティア)

正義 (思考のフロンティア)

正義論みたいなの初めて読んだ。

著者は基本的にシュクラーの〈恐怖の自由主義〉に立脚している。〈恐怖の自由主義〉とは、恐怖からの自由を中心とし、「残酷さを避ける」ことを第一とする立場である。

自由主義の特徴は二つに大別できるーー〈希望の党派〉と〈記憶の党派〉。前者は例えば自然権について論じ、「望ましい社会の実現」を目指すが、後者はそうではなく、「人間の過ちを記憶する」ことが先決とする。〈恐怖の自由主義〉は後者に属する。われわれは歴史的に、「残酷さ」について真剣に考えてこなかった、と著者はいう。

残酷さを何より上位の悪徳と見なし、それを避けることを望んだ時、われわれはより下位の悪徳、「懐疑、優柔不断、嫌悪、そしてしばしば人間嫌い」を携えることを必要とする。だがむしろ、それらの下位の悪徳が「残酷さ」に転化することを何より避けなくてはならない、と考える。われわれは人間の可謬性を受容し、それを積極的に是認しなくてはならない。

さらに著者は正義論のモデルにも同様の転換を適用し、「正義」ではなく「不正義」を捉える感覚について論じる。不正と不運の明確な線引きに固執すること、それによって道徳を自然化することを厳しく戒める。不正の訴えを聴き届ける努力、「翻訳の仕事」によって「不正義感覚」を蓄積する重要性。

そして著者は「よく生きること」、「身体的なよさ」について論じる。われわれは「よく生きる」ことを個人的な事情として正義論から切り離すことのないように注意しなければならない。もっとも、この視点は〈恐怖の自由主義〉で語りうるものではない。それを語るために、イグナティエフは「ニーズの言語」という概念を提唱する。

ウォールドロンが物語る二つの慈善。道端に倒れた人間を助けるサマリア人と、雪山の遭難者が自分の小屋に上がり込み、食料を消費することを許すサマリア人。前者の「能動的慈善」は従来の慈善のイメージであったが、われわれは後者の「受動的差し控え」について検討する必要がある。パブリックスペースにおけるホームレスの権利。

正義論というと何かしら複雑な議論がある印象があって、大体イメージ通りだった。正義論はその本質において手探りの哲学だからかもしれない、とか。