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8-9月のまとめ

記録をさぼっていた二ヶ月分をまとめて記録するので遺漏などあると思うが致し方ない。見つけ次第更新する。

読んだ本

8月後半から9月にかけては旅行や合宿があったので読書が捗らなかったのは仕方ない。

中途半端に読み終わっていないものが色々ある。トクヴィルの『デモクラシー』第二巻、高山裕二『トクヴィルの憂鬱』、モレッティ『遠読』、『ニューエクスプレス アイルランド語』。いずれも早めに片をつけたいが、しかしアイルランド語を今後継続的に学習するのは諦めた方が良いかもしれない。

買った本

ネチケット史

通読

ネチケットがどう変遷してきたかということを調べている。

とりあえず公立図書館で2001年までに刊行された関連書籍を集めてみたけど、多くは児童書で少数の表面的 Tips しか載ってない。ネットのことはネットで調べるのが良さそう。 例外的に以下は面白かった:

  • ドナルド・ローズ『ネチケット入門:インターネットの行儀作法』池尻千夏訳、海文堂、1996年。

pre-WWW era のネチケット指南書で味がある。

以下はウェブ上の重要そうなドキュメント (未読):

高田里惠子『グロテスクな教養』

通読
  • 高田里惠子『グロテスクな教養』ちくま新書、2005年。

『文学部をめぐる病い』が戦前の男の教養主義に焦点を絞っていたのに対して、こちらはずっと幅広く近現代日本の多様な教養主義を扱っている。新書であることもあってか性格の悪さがよりストレートに文体に出ている。良く言えば語りがうまい。

グロテスクな教養 (ちくま新書(539))

グロテスクな教養 (ちくま新書(539))

宇野重規『保守主義とは何か』

通読

保守主義」をそのライヴァルから規定されるものと捉え、フランス革命社会主義大きな政府、との対比に一章ずつを充てて描く。第四章では日本における保守主義(の欠如)が論じられる。主に取り上げられるのは、バーク、エリオット、ハイエク、オークショット、フリードマンノージック

特にバークにはウェイトが置かれていて、他の保守主義者の記述においても、秩序ある漸進的改革を目指すかぎりでの保守主義、というバーク的視点が全体として保持されている(したがってド・メーストルのような反動主義者は取り上げられない)。日本における保守主義の欠如、と最初に書いたのも、この視点からの批判に他ならない。もっともこれ自体は特に目新しい論点ではないと思う。むしろ各々の思想家の一筋縄でいかないさまを描いているのが興味をそそられた。

各論として、ネオコンが元々転向したトロツキストだという話は知らなかった。「ニューヨーク知識人」に関しては矢澤修次郎『アメリカ知識人の思想』が参考文献に挙げられている。あと気になったのが伊藤博文陸奥宗光原敬明治憲法体制における「保守本流」とみなし、これが西園寺や牧野らの「重臣的リベラリズム」に受け継がれる、という話。

高田里惠子『文学部をめぐる病い』

通読

幾人かの独文学者たちの蹉跌のさまを吟味して戦前の日本的教養主義の帰趨を描く。とりわけ中心的に槍玉に挙げられるのがヘッセの初の邦訳者にして戦時中には翼賛会文化部長を務めた高橋健二である。彼らは「立身出世」コースの法科にも、西田哲学の根城たる京都帝大文科にも赴かず、さりとて左翼運動にも身を投じなかった、いわば「二流」の東大文学部出身者である。彼らはあくまで「文学部」の人間であるにも拘らず・あるいはそれゆえに、「文学部」に抗して「文学」を擁護しようと努め、結果として社会の要請に応えるナチ文学の紹介者としての役割をすすんで引き受ける。(ここには日本的教養主義の出自が関係している。近代日本が近代西欧とそこに内生してきた近代批判とを一度に受容した結果として、「教養」には奇妙なねじれが生じた。西欧における教養批判・教養俗物批判が、日本的教養主義の根幹をなしたのだ。旧制高校の反市民社会的性格もまたここに由来する。)

しかもナチ文学の紹介者は同時に、なんら内的矛盾を経験することなく、戦前・戦後を通じて反ナチ文学の誠実な紹介者でもあり続けた。戦中に一種の二重スパイ的状況に置かれることになる。問題は「文学」が二重スパイ性を自覚させる力を持たず、むしろ精神的アウトサイダーとして自らの振る舞いを正当化させることである、と著者は指摘する。

いくつか重要な論点を書き落としているけれども(日本的教養主義の「男性同盟」的性格など)いまいち掴みきれていないので放置。ドイツ的な「教養市民」およびそれとナチズムとの関係について野田宣雄『ドイツ教養市民層の歴史』、フリッツ・リンガー『読書人の没落』、田村栄子『若き教養市民層とナチズム』などが参照先として指示されており、この辺りを勉強してから読んだ方が面白いかもしれない。

文学部をめぐる病い?教養主義・ナチス・旧制高校

文学部をめぐる病い?教養主義・ナチス・旧制高校

コルートス、トリピオドーロス『ヘレネー誘拐・トロイア落城』

通読

3-6世紀に成立したトロイア戦争に関する叙事詩二篇。いずれもごく短いものでエピュリオンというジャンルに属するらしい。

ヘレネー誘拐・トロイア落城 (講談社学術文庫)

ヘレネー誘拐・トロイア落城 (講談社学術文庫)

村田沙耶香『コンビニ人間』

ひといきに読み終えたけれど決して軽い本ではなかった。登場人物の誰にも共感はできないことは前提として、主人公は硬直的だが筋は通っている、「白羽」はずっと混乱しているけれども混乱の仕方が(主人公が正しく観察したように)一定している。対蹠的に「周囲」はある意味で理解を拒むがゆえに恐ろしくまた迫害的に見える。

問い、主人公の思考の筋道は何が見えていることによるものか。また何が見えていないことによるものか。「何々が見えていないがゆえにこのように思考し、それゆえにかえって、何々が見える」と表現するべきか(おそらくこれが「普通」の表現)、あるいはその逆か。同様の問いを他の登場人物に向けるとどうか。

コンビニ人間

コンビニ人間