ボエティウス『哲学の慰め』

ボエティウス(480?-524)の遺著。ボエティウスは若くして諸学をきわめ(『音楽教程』『算術教程』などをわずか20歳の頃に著している)、弱冠30歳にしてテオドリック王のもとで執政官となり、次いで宰相に任ぜられて、プラトン的な理念のもと善政を行うよう努めるが、讒訴により死刑に処せられる。(背後にはローマ人とゴート人の緊張した関係もあったようである。このあたりの事情は訳者解説に詳しい。)本書は獄中で書かれたもので、この運命の急転を受けて失意のどん底にある著者を「哲学」の女神が慰めるという筋になっている。

運命(ないし摂理)が一見きわめて過酷であるにも関わらず結局は良いものであることを論じており、全体として神義論的な構成を取っているが、他方で議論は古代の伝統の影響を強く受けており、ジョン・ポーコックが述べるように、そのことは「彼のキリスト教信仰の、事実をではないにしても性質を、議論の余地あるものにしている」(The Machiavellian Moment, p.37)ように思える。「哲学」が主導して対話を進めてゆく形式もプラトンの対話篇を彷彿とさせる。因みに訳者によれば摂理および運命についてのボエティウスの考えはプロクロス(412-485)のそれに拠っているようである。

哲学の慰め (1969年) (筑摩叢書)

哲学の慰め (1969年) (筑摩叢書)

宇野重規『保守主義とは何か』

保守主義」をそのライヴァルから規定されるものと捉え、フランス革命社会主義大きな政府、との対比に一章ずつを充てて描く。第四章では日本における保守主義(の欠如)が論じられる。主に取り上げられるのは、バーク、エリオット、ハイエク、オークショット、フリードマンノージック

特にバークにはウェイトが置かれていて、他の保守主義者の記述においても、秩序ある漸進的改革を目指すかぎりでの保守主義、というバーク的視点が全体として保持されている(したがってド・メーストルのような反動主義者は取り上げられない)。日本における保守主義の欠如、と最初に書いたのも、この視点からの批判に他ならない。もっともこれ自体は特に目新しい論点ではないと思う。むしろ各々の思想家の一筋縄でいかないさまを描いているのが興味をそそられた。

各論として、ネオコンが元々転向したトロツキストだという話は知らなかった。「ニューヨーク知識人」に関しては矢澤修次郎『アメリカ知識人の思想』が参考文献に挙げられている。あと気になったのが伊藤博文陸奥宗光原敬明治憲法体制における「保守本流」とみなし、これが西園寺や牧野らの「重臣的リベラリズム」に受け継がれる、という話。

高田里惠子『文学部をめぐる病い』

幾人かの独文学者たちの蹉跌のさまを吟味して戦前の日本的教養主義の帰趨を描く。とりわけ中心的に槍玉に挙げられるのがヘッセの初の邦訳者にして戦時中には翼賛会文化部長を務めた高橋健二である。彼らは「立身出世」コースの法科にも、西田哲学の根城たる京都帝大文科にも赴かず、さりとて左翼運動にも身を投じなかった、いわば「二流」の東大文学部出身者である。彼らはあくまで「文学部」の人間であるにも拘らず・あるいはそれゆえに、「文学部」に抗して「文学」を擁護しようと努め、結果として社会の要請に応えるナチ文学の紹介者としての役割をすすんで引き受ける。(ここには日本的教養主義の出自が関係している。近代日本が近代西欧とそこに内生してきた近代批判とを一度に受容した結果として、「教養」には奇妙なねじれが生じた。西欧における教養批判・教養俗物批判が、日本的教養主義の根幹をなしたのだ。旧制高校の反市民社会的性格もまたここに由来する。)

しかもナチ文学の紹介者は同時に、なんら内的矛盾を経験することなく、戦前・戦後を通じて反ナチ文学の誠実な紹介者でもあり続けた。戦中に一種の二重スパイ的状況に置かれることになる。問題は「文学」が二重スパイ性を自覚させる力を持たず、むしろ精神的アウトサイダーとして自らの振る舞いを正当化させることである、と著者は指摘する。

いくつか重要な論点を書き落としているけれども(日本的教養主義の「男性同盟」的性格など)いまいち掴みきれていないので放置。ドイツ的な「教養市民」およびそれとナチズムとの関係について野田宣雄『ドイツ教養市民層の歴史』、フリッツ・リンガー『読書人の没落』、田村栄子『若き教養市民層とナチズム』などが参照先として指示されており、この辺りを勉強してから読んだ方が面白いかもしれない。

文学部をめぐる病い?教養主義・ナチス・旧制高校

文学部をめぐる病い?教養主義・ナチス・旧制高校

村田沙耶香『コンビニ人間』

ひといきに読み終えたけれど決して軽い本ではなかった。登場人物の誰にも共感はできないことは前提として、主人公は硬直的だが筋は通っている、「白羽」はずっと混乱しているけれども混乱の仕方が(主人公が正しく観察したように)一定している。対蹠的に「周囲」はある意味で理解を拒むがゆえに恐ろしくまた迫害的に見える。

問い、主人公の思考の筋道は何が見えていることによるものか。また何が見えていないことによるものか。「何々が見えていないがゆえにこのように思考し、それゆえにかえって、何々が見える」と表現するべきか(おそらくこれが「普通」の表現)、あるいはその逆か。同様の問いを他の登場人物に向けるとどうか。

コンビニ人間

コンビニ人間

黒田覚「象徴天皇制の意義と機能」

「物」としての象徴は特定の抽象的意味内容を表現する。「物」の象徴的機能とは、その「物」を通してそれが示す意味内容の体験が強化されることであり、そのように機能するチャンスの存在が象徴にとって本質的である。

また「ひと」が象徴性を持つ場合もある。第一に歴史的・伝記的人物、第二に歴史や伝統を背後に持つ君主。もっとも君主について「象徴」ということばが語られる例は新しく(19世紀初頭)、その理論化はさらに新しい(19世紀後半、バジョット)。

1920年代にケルゼンとスメントは同様の君主象徴論を展開している。特にスメントは君主制の本質がカリスマ性ではなく象徴性にあることを指摘する(ドイツ立憲君主制の批判)。このスメントの議論の背後には「統合 Integration」の理論がある。すなわち社会集団の統一性は dynamisch な Integrieren の過程に他ならず、統合はそれを生み出す契機の相違により人的統合 persönliche Integration(個人の指導性)、機能的統合 funktionelle Integration(各種の集団的行動)、物的統合 sachliche Integration(国旗・紋章・国歌)の三種に分類できる。

ところで、君主の象徴性が取り上げられるようになったことは立憲君主制の進展と軌を一にする。絶対君主制は伝統的支配とカリスマ的支配の結合であり、立憲君主制のねらいはその結合を解いて伝統的支配と合法的支配の結合に置き換えることにあった。この変遷において、絶対君主制においてはカリスマ性の「背光」にすぎなかった象徴性が独立して取り上げられる余地が生まれた。

立憲君主制には西ヨーロッパ的形態とドイツ的形態が存在する。前者は1814年のフランスの憲章 Charte Constitutionelle に始まり、コンスタンの中立権・調整権の理論、シャトーブリアンの議会主義の理論もこの時期に生まれた。これと反対にドイツでは君主的政府優位の立憲君主制が維持された。両者の相違は憲法規定ではなく運用上の慣行の相違である。イギリスの君主もコモン・ローにおいては大権 prerogatives を持つが convention を通してみると名目的なものにすぎない。

さて、日本国憲法天皇に関する規定は以下のような仕方で相互に関連する。

  • 日本国憲法において象徴性と「国政に関する機能」を持たないことは表裏一体である。
  • 象徴を地位として規定しているか否かは争いがある。
  • 天皇制そのものが国民の主権的意思に基づく。
  • 「国政に関する権能」を持たないことから国事行為はあくまで形式的儀礼的性格のものだと解釈されてきたが、すべての国事行為を同一の意味でそうであるとは言いがたいところに争いがありうる。

天皇の対外代表的性格の強化について GHQ がいったん諒解を与えたことからしても、マッカーサー草案は天皇の元首的性格を否定する意図を必ずしも持たなかったと見られるが、憲法天皇の非権力的地位を詳細に規定している以上、なお天皇を元首として解釈することを問題なしとしない。

元首否定論には第一に象徴と代表との哲学的性格の相違を論拠とするものがあるが、これはやや飛躍がある。第二に対外代表的性格を持たないことから実証的に否定するものがある。しかし天皇を外国大使・公使の名宛人と考えることは国事行為の性格と矛盾すると直ちにいうことはできず、対外代表権を一本化する必要は必ずしもない。

日本を共和制と見るか君主制と見るか。国民主権を基礎とした君主制を unechte Monarchie として共和制と見る基準からするとエチオピアを残して*1今日君主制は存在しない。むしろ国家機構における栄誉的・尊厳的地位の世襲制、および対外代表的性格から特徴づけるべきであり、この点で日本は君主制と言える。

天皇の地位を限りなく非権力化することは、そもそも象徴的機能を発生させることを困難にすると思われる。(この主張は象徴的機能のカリスマ的機能化をめざすことを意図しない。)

*1:1964年時点。後に共和制へ移行

ダメットの全体論批判(金子『ダメットにたどりつくまで』3章)

以下に関するメモ。内容要約。

  • 金子洋之『ダメットにたどりつくまで』(勁草書房、2006年)pp.79-118.

古典論理的な推論実践を否定することがダメットの目標だが、そのために、まず論理の改訂を不可能とするタイプの議論への反駁が必要である。全体論はこのタイプに当てはまる。「意味は使用である」という(論理の改訂を要求する議論においてダメットが用いる)スローガンが全体論と結びつくとき、論理の改訂は不可能になるからだ。したがってダメットの改訂主義の論証の序盤に全体論批判が位置づけられることになる。

1節

全体論が論理の改訂を不可能にすることの理路は以下のとおり。(クワイン全体論における論理の改訂可能性とは出発点からして異なっている。クワインにおいて論理の改訂は経験を契機とする。たほうダメットはあくまで意味理論 a meaning theory に訴える。したがって論理の改訂の可能性は演繹の正当化の可能性に帰着する。)

  1. 演繹の正当化は可能である。議論の循環はそのさい問題にならない。演繹の正当化とは、それを受け容れない人間への説得ではなく、その妥当性の説明だからである。
    • 異なる論理を受け容れる論者のあいだでも「説明の文脈」を用いることができる。論理の改訂における争いの場面においても一定の推論規則は共有されているため。
    • 一切の論理的推論を共有していない、ということはありえない。なぜなら推論活動は言語実践の孤立した部門ではないから。すなわち他の部門と「調和」を保っている必要がある。この点からも意味論の成否を論じられる。
  2. 推論活動が言語実践の孤立した部門でないことを認めつつ、直観主義論理の世界と古典論理の世界が「別の演繹原理が支配する世界」だ、と主張するならば、全体論的言語観を支持せざるを得ない。

2節

全体論とは、「単一の言明の内容を理解するには、その言明を含む言語の全体を理解していなくてはならない」(p.96)という主張である。例えばデイヴィドソンの真理理論においては、ある文の解釈が適切か否かは、理論における他の定理と証拠との全体的な一致によって示される。ダメットはこれに分子論的言語観 molecular view of language を対置する。分子論的言語観においては、ある言明を理解するために必要な言語断片の大きさは有界である。それゆえ「各文の意味を個別的に切り出す」(p.102)ことができる。

3節

観察言明の意味は、一方で観察から直接与えられ、他方でモデルから導出される。論理結合子には導入則と除去則がある。こうした仕方で言明には異なる相があるが、全体論は使用の異なる相を言語から分離できない。ダメットの改訂主義はこうした分離を必要とする。

4節

では、全体論を拒否する論拠は何か。

  1. 言明の意味表示を言語全体から切り離せないことは、言語習得やコミュニケーションの可能性を閉ざす。
    • 文の意味理解において合成原理が働く仕方を全体論は説明できない(分子論的言語観はうまく説明できる)。
    • 他者との不一致が真理値の相違か言語的な不一致かを判別するさいに、全体論的な判別法はうまくいかない。
  2. 言語実践の正当化要求は合理的である(したがって1節で見たようにそれを不可能にする全体論は支持しがたい)。
    • 全体論的観点は言語の規範性を説明できない。
    • 他方、分子論的言語観においてはラフな意味での「保存拡大性」が要求される。この要求が言語の規範性を保証する。

『プラトン全集』4巻

パルメニデス』『ピレボス』を収める。

パルメニデス

全体はケパロスの独白。ゼノン・パルメニデスソクラテスの間の対話を、その場に居合わせたピュトドロスがアンティポンに伝え、さらにアンティポンからケパロスがその様子を又聞きした、という多重の入れ子構造。

全体は概ね二部に分かれ、「イデアについて」という古来の副題が適合するのは前半部のみである、と田中美知太郎が解説で指摘している。実際、第二部にあたるパルメニデスソクラテスとの対話はむしろ「一」についての形式的な議論に割かれている。

特に後半の議論は全く僕の理解を超えている。

『ピレボス』

ソクラテス、ピレボス、プロタルコスの対話。快楽(ピレボス)と思慮(ソクラテス)とのいずれが最善のものか、ということが話題となり、いずれも善そのものと同一視はできず、それらが混合した生活が最善である、と結論される。そこで「二等賞」をいずれに与えるべきか、が次に問題となる。快楽と思慮とのそれぞれにについて分析がなされ、順位について決着が付けられる。

プラトン全集〈4〉パルメニデス ピレボス

プラトン全集〈4〉パルメニデス ピレボス